歪んだ傷だらけの夏 【救急搬送】

1年間パブロンODを続けた。
パブロンというのは結構強い薬で、体に負担がかかりすぎる。その理由でエスエスブロンに移行した。


ブロンに移行して1ヶ月。毎日のように量は増えていった。最近はODを1日おきに休みを作るように頑張っていた。その日は2日連続で飲んでしまった。いつも通りに1瓶、そして調子に乗ってプラス2本目で35錠ほど飲んだ。気分は最高だった。この時に「飲みすぎて倒れるなよ」と友達に言われたばかりだった。突如吐き気がきてゲロゲロ吐き始めた。次第に吐血した。茶色になった血を見て「なんか茶色系のものを食べた?いや、食べた」そう思い込んだ。しかしどう考えても血でしかなかった。異常な発汗。フラフラで動けない。 #7119に病院に行ったほうがいいかを問い合わせた。すると「すぐ救急車で病院に行ってください」と電話はそのまま救急隊にフラフラのまま保険証とお薬手帳を鞄に突っ込んだ。救急車が来るとなって父親に電話を入れていた。間も無く父親が駆けつけた。


実はこの日、昼間父親が訪問しにきていて、その時にはブロンがかなり効いていた。救急車に乗り込んだ父は「ごめんね、えな。あの時も無理してたの?気づけなくてごめんね」と言われた。私は言った『これ以上薬を飲みたくなかったから、パパに一緒にいて欲しくて引き留めただけだよ。パパが気づかなかったのは当然だよ。私は気づかれないようにしてたし、けど一緒にいて欲しかった。パパ、ごめんなさい』


ストレッチャーで処置室に連れていかれた。この時期コロナ対策として肺のレントゲンを撮られた。膀胱にかなり水が溜まっていたが、排尿が全くできなかったので、尿道バルーンを入れられた。これがくそほど痛かった。


病名 急性薬物中毒

ここまでするかと言わんばかりの採血。点滴は3本。血栓予防のために足のマッサージ機。こんな時まで私はお金の計算をしていた。この病院は診療報酬をあほみたいに取ってくるな~
点滴で解毒されたおかげですぐに離脱症状が来た。ありえないほどの下痢。相変わらず尿道のバルーンは取ってもらえなかった。私はこの時尿道にただのまっすっぐなカテーテルが入っているだけだと思っていた。無理やり何度も取ろうとした。そして後から知る。バルーンが入っているのだから抜けるはずがないと。

この日は禁食だった。

朝7時起床。皆がご飯を食べている中、私はお腹がすきすぎて泣きそうだった。しかもこの時相当寝ぼけていた。認知のおばあちゃんばりに「朝食まだですか?」と何度も聞いた。当たり前に嫌な顔をされた。8時になりようやく朝食の許可か出た。私は貪った。貧乏な家でろくにご飯を与えてもらえない子供が給食を貪るように。


数時間後、退院の許可が下りた。お父さんが迎えに来てくれます。と言われた。弟の運転でお父さんと弟が二人で迎えに来てくれた。ごめんなさいと謝った。薬物中毒の姉を見たお弟は何を思っただろう。


→その日の出来事は次に続く


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