薬物依存症という現実

歪んだ傷だらけの夏 【救急搬送】 - あの日々に鍵をかけて

前回の記事、救急搬送された日の翌日のお話。

実家に戻った自然と私は父の車に乗り換えた。助手席に座った。父も自然に運転席に乗り、ふたりで話し合った。

父と話す時は、喫煙できる父の車か畑のテラスに座る。

『私パパがお酒やめられないことをなんで?って疑問に思ってた。私たちのことを本当に愛しているのなら、おさけくらいやめられるでしょ?って。でもそんな簡単な話じゃないってわかったんだ』
「うん、そうだな。俺が悪い見本でごめんな」
『今後のことはちゃんと考えます』

"頑張ってODをやめられるようにする"
強く思った。思っただけで、決意まではできなかった。やめられる気がしなかった。現状3日のうち2日はODをしている。とりあえずの目標は5日間で1回、月のトータルは5.6回にしたい。

実家に泊まりたかったが、薬がなかったので家に戻ることにした。

家にはブロンが1瓶残っていた。
その翌日『やめるなら残ってる1瓶勿体ないから最後に飲もう』とあけてしまった。痛い目にあったのに、私は本当に懲りない。

搬送された情報提供書を持って、なるべく早く精神科を受診することをキツく言われていたので、クリニックに電話をかけた。今から来てということだった。

ブロンが入ったままクリニックに行った。

「遂になかった搬送されたのか〜でもよくもったほうだよ。1年もパブロン飲んでて、今まで搬送されなかったのが不思議だね。えなはタフだね」と主治医は笑っていた。
『へへ、運ばれちゃいました』と私も笑った。

『今後の計画としてはどうすればいいですか?入院した方がいいですか?開放病棟で受け入れてもらえるなら入院したいです』
「今の状態だと開放で受け入れてもらうことは無理だね〜病院探しておくよ」

話はここまでしか覚えていない。ただ、主治医はいつも優しくて、この日は増して優しくしてくれた。

心配だから来週もきてと言われた。



前回、この日のちょうど1週間前に受信した時、待合室で子どもがうるさかった。うるさいというのは私の感覚で、聴覚過敏がない人にとっては静かな空間らしい。

この時、私は我慢ができなくて『静かにしてください』と言ってしまった。どうしてもどうしても、音が苦手だ。それを見た医療事務の女性が「使っていない診察室をあけるので、ベッドで横になって休んでていいですよ」と親切にしてくれた。

その日、受診を終えて外に出た瞬間に『なんで我慢できなかったんだろう。ごめんなさい』ととてつもない罪悪感に襲われた。

数日前の受診では、クリニックに着いてすぐにベッドに連れて行ってもらった。

主治医に『いつも我慢できなくてごめんなさい』と謝った。すると主治医は「えなに悪気がないのはわかっているし、調子が悪いから仕方ないんだよ。大丈夫」と言ってもらえた。

理解してもらっていること、理解の上の配慮に泣きそうになった。心がじんわりと温かくなっていった。私も誰かに優しくして、優しくした相手が誰かに優しくしてくれたらいいなと思った。

そのまた翌日もODをしてしまった。
ODしてからpと会って、カウンセリングまで送ってもらい、終わった後は家まで送ってもらった。『入院費12万だった(ぴえん)8万どうにかできない?(泣)4万は自分でなんとかする!』と事前に言っておいたので、送り迎えだけだったが結局10万円を、心が温かくなったとか言っておきながら翌日には容赦なく金をもらった。

そして昨日、友達と出かけたおかげでODをしなくて済んだ。
昨日『最低でも1週間は買わない』と決めたのだが、今朝になってどうしても飲みたい欲求が湧いた。1日あけたからいいだろうと言い訳してドラッグストアに買いに行った。

そうしていつも通り84錠、1瓶を空にしてしまった。

救急搬送されても懲りずに飲んでしまうが、未だに薬物依存だという現実を受け入れられない。やめようと思えばやめられる、そう思っている。
現実を受け入れるために、ブログ村のカテゴリーに薬物依存を追加した。

明日は飲まずに頑張れますように。


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