アルコール依存症の父について

うちは母も父もお酒を飲む人だった。

夕飯の時間にプシュッと音が鳴る

大人はビールを飲むのだ。

私も大人になったらビールが大好きになって、ビールをご褒美に生きていくものだと思っていた。

小学生になって、いつだったかある日のこと「えなちゃんのママってビール飲むんだね!うちのママはお酒飲まないよ!」と言われた。

みんながみんなお酒を飲む人ではないということ、両親ともに毎日ビールを飲むのは珍しいということを知った。

次第に父はアルコールの量が増えていき、真冬の畑で潰れて爆睡、家に帰ってこない、職場で隠れて酒を飲んで寝るなど着実にアルコール依存の道を歩んでいった

父がアルコールに依存するようになったのは、家庭に居場所がなかったからだと思う。私は父を毛嫌いしていたし、両親は不仲、私は精神が不安定で癇癪を毎日起こす。そんな場所にいたくなくてアルコールに逃げたことは責められない。

アルコールが主食でご飯を食べない生活に変化していった。

175cm60kgの元々細身だが痩せ細り体重は45kgになった。それが私が高校生の頃だから多分10年弱前。そして糖尿Ⅰ型の診断がおり緊急入院。

糖質の関係でビールが飲めなくなった父のお供はハイボールと緑茶ハイになった。

アルコールで病院にかかっていなかっただけで、とっくに依存症になっていた。

アルコールしか摂らない生活が続き、体がおかしくなっていた1年半前、とうとう父は死んだ。一度。一回死んだのだ。

魂の抜けた父を弟が抱え救急車に乗り込んだ。
蘇生され、父は生き返った。

そこでようやくアルコールの専門の病院にかかるという約束を、糖尿内科の先生と母とし退院する。

しかし通院したのは5回あったかどうかのレベル。

頑張ってお酒をやめていた時期もあったけれど、結局アルコール生活に戻り、1年前に内科入院。そして今回の入院。

ちょっとお酒飲んじゃって体調崩して入院した
くらいに私含め家族は思っていた。

だが想像以上にアルコールの離脱症状のせん妄が酷かった。あれだけのせん妄が出ているということは、私たちが気づかなかっただけで相当の量を相当な期間飲んでいたに違いない。

内科入院の病院は「せん妄はうちでは診れません」とほぼ追い出されるように退院した。

うちは家族経営で店をやっていて、父が入院したことで父抜きのシフトが作られた。作ってもらってそれで動いてもらっていた。だから父が多少の期間入院していようと大丈夫だった。

しかし父は妄想がひどく「明日の朝人がいないから3時間だけ退院させてくれ」と病院側にせがむ。そこで看護師と揉めたらしい。そもそもせん妄が酷い状態で仕事になんか行かせられないのに。

そんな感じで病院から追い出されて、昨日のお昼に「退院したよ」とLINEがきた。

おい(^ω^)なんで退院してるの?)^o^(

もう知らね〜!!勝手にしろ と私は不貞寝した。

その頃、弟からヘルプのLINEがきていた。正確には「暇?」ときていたのだが、あとから話を聞いて"LINEくれた時助けてって言いたかったんだな"と解釈した。私は爆睡していた。申し訳ない…。

LINEを見てからも「あとで返事しよ〜」くらいに思っていた。ゆっくり湯船に浸かりながらYouTubeを観た。

だいすきな!!
癒しのコムドットの時間、事件は起きた。
というか!!これこそ怪奇現象が起きた。

家族ラインにせん妄の話がぶっ込まれた。

ここでようやく事態がかなりやばいと気づく。
即刻弟に電話。

「昼間からやばくてさ〜」
『そっち行くわ………気づいてあげられなくてごめん。1人で頑張ってくれてたんだね、ありがとう』

急いで実家に戻った。

弟に事情聴取して今の悲惨な状況に2人でため息をついていた。

2階の自室からリビングに降りてきた父に「調子どう?」と聞いた。

父はこう言った。

「今さ!部屋に同級生2人きてんだよ!久しぶりに会うと楽しいな!!でもな!そのうちの1人は強盗かもしれねえんだよ。エナと○○(弟)には言っとく!(バッグを指差しながら)ここに金入ってるから。あとよろしくな!!」

その話がせん妄であるということをハッキリと言うべきか、話を全部聞いてから諭すか迷った。結局、落ち着かせてからゆっくり現実に戻ってきてもらおうと決めた。

『一旦座ろっか!退院したばっかりで疲れたでしょ〜!お水飲めてる??血糖値も心配だから測るね。バッグに入ってるよね?あけていい?』

「なんでだよ!ダメに決まってんだろ!!」

『ごめんね。いきなりビックリしたよね。パパのこと心配だから血糖値測りたいのね。バッグに機械入れてると思って開けようと思ったんだ。ごめんね』

「そっか、それならいいよ」

『ありがとう』

血糖値を測る機械、インスリン、針、アル綿
それが入ってるバッグを、父も私たちも「命のバッグ」と呼んでいる。そこにさっきの強盗の話に出てきたお金を入れていた。だからバッグを開けようとしたことに恐怖を抱いたのだと思う。

血糖値を測ると240
インスリン打っとこうか!打ってちょっとだけご飯食べる?』

「いい」

もうダメだ……

「2階で同級生が待ってるからもう上行くわ」と言われた。着いて行った。

父が部屋に入ると「え、いない…どういうことだ?エナ、そっちの部屋見てくれない?」混乱していた。

『あのね、びっくりするかもしれないんだけど…同級生はきてないの。パパは今自分では実感ないと思うんだけど、調子が悪そうに見えるんだ。同級生がきていたのは夢の中の話なの。パパは調子が悪くて夢と現実が混ざったり、境目がふわふわしている状況なの。驚いちゃうよね。でも同級生はきてないし、強盗もいない。強盗がきてたら怖いよね。私たちのこと心配してくれてたのかな、そうだとしたらありがとう。今はゆっくり休もうね』

当然のようにパニック

「俺ダメだもう……」

一緒にリビングに戻った。

こんな酷い状態で放っておくわけにもいかない。
次の日(4時間後)には起きて仕事に行くと言っていた。

社長の叔父は、私の父が退院したことすらまだ知らなかった。入院していると思っているから、父のいないシフトで店は回っていて次の日も父は休みだった。

しかし父は「俺がいないと店は回らないから出勤しないと」という妄想に取り憑かれている。自分がいないとダメなんだというプライドも大きかった。

私と弟は言った。
「明日(数時間後)は行かなくていいし、社長はパパが退院したことを知らないしパパがいない前提でシフトもできてるの。今も具合が悪いのに行かせられないっていうのもある。だから明日は休んで」

「じゃあ社長に電話するわ」

『今深夜0時だよ…この時間にかけるのはおかしいよね?社長に言う必要はないし、連絡しないで休んでていいの。だから寝よう』

「俺は仕事に行かなきゃいけないから退院してきたんだよ。それで仕事に行かないなら何のために俺は退院したんだよ?看護師とも揉めたんだぞ。意味なかったってことか?それに深夜だからなんて関係ない。俺が電話したいからするんだよ」

そもそも、仕事に行かなきゃいけないというのが妄想というか、理解ができていない。仕事に行かなくていいから退院もしなくてよかったということも理解できない。そして社長に電話をかけてしまった。

「お疲れ様です〜もう退院したんで明日の朝行きます。もう元気なんで!」

私と弟はアイコンタクトで会話
あ〜やっちゃった〜
明日は行かせないこと、本来退院しちゃいけない状況でしちゃったこと、深夜にかけたことの謝罪、弟が電話を代わって諸々伝えてほしいと目で訴えかけた。

私は社長の叔父と仲が悪いから弟に頼んだ。

さすが23年一緒にいただけあって弟は全てを理解して電話を代わった。

明日は行かないということになって電話は終わった。

すると父は激怒

「なんで俺のシフトをお前らが決めるんだよ」
「俺の仕事のことに首突っ込むのおかしいだろ」
「定職に就いてない○○(弟)が定職に就いてる俺のシフトに指図すんな」

言いたいことはわかる

夢と現実が混ざるのは、アルコールの離脱、アルコールの影響ということをどうしても理解できない、というか理解したくないようで、アルコールの話をすると見事にすっ飛ばされた。認めたくないんだろうな。

ここから深夜の3時半まで話し合いは続いた…まさに地獄だった。途中から母も参加した。

結局、翌朝父は仕事に行った。
私たちはもう知らんという感じだった。

木曜に入院
日曜に退院(させられた)
その日がせん妄ピークで深夜3時半までの地獄
月曜 勝手に出勤


次の記事はタイトルに書いてある
本題になる宣告の話
3700文字のここまでが序章なのシンプルに無理(笑)

具体的な期間を言われたわけではないが、余命宣告みたいなものをされた話、近日公開………