入院するまでのこと

ここ2.3週間、叔母の件(前の記事に載ってます)も含めて、沢山辛いことがありました。友達も職も失いました。(失ったというより、私から切った)(職といってもキャバクラw)

 

叔母の件で鬱状態が悪化。数日かけてなんとか持ち直したと思いきや、友達とのトラブル。友達とのトラブルは、最早書くことが面倒なので簡単に。

酒で粗相をされました。アル中の父を持つ私には耐えられない事件でした。酒に飲まれた友達が怒り狂い、私の大事な友達の首根っこを掴み追いかけ回しブチ切れ。私は止めに入りましたが、暴走は止まらず。とにかく怖かったです。それと、たまたま遭遇した私のキャバクラの店長に喧嘩を売るようなことを言い、店長お怒り( ᵕᴗᵕ )私は100悪くないと思っていますが、友達が店長に喧嘩を売ったことも含めて、キャバクラを辞める原因にもなっています。

 

酒に飲まれた友達とは、もう今後関わりたくないと思いました。いつも頼りになる優しいあの子が、あんな暴力的な人だったなんて。勝手に裏切られた気持ちになって、友達への信用も崩れ、人間不信になり…

 

そうしてまた調子が悪くなり、家事も何もできずに、散らかった部屋で過ごしていました。

なんとか這いつくばって、キャバクラに給料を取りに行きましたが、友達が喧嘩を売ってしまったことで、私の待遇が悪くなり、給料を取りに行った日に時給の件で店長と揉めました。最終的にはパワハラのような感じを受けたので辞める決断をし、キャバクラバイバイ〜( ͡° ͜ʖ ͡°)

 

2019年の1年で、1位2位を争うような調子の悪さでした。毎日涙が止まらない。ベッドから出られない。トイレすら行く気力がなく我慢。風呂には入れず、家事は母に来てもらってお願いしていました。そんな生活でした。

 

死にたい気持ちが24時間あったわけではなかったのですが、解離してしまった場合や、衝動的になってしまった時に、自殺を図る自信(笑)があったので入院することにしました。

 

安心できる場所に保護されたいと思っていました。このままでは死んでしまう、そう思ったからです。

 

土曜日に病院に電話をかけました。『ストレスケア病棟に入院したいです』  「土日は入院担当の者がいないので、月曜日にまた連絡ください」と言われました。

 

無理だ…月曜日まで待てない。その前に死んでしまう。耐えられない。けれど、月曜日まで待つしか他になく、地獄の日々を過ごしました。

 

月曜日、朝9時ぴったりに電話。「急には無理ですね。木曜日からであれば受け入れます」

 

無理だ。木曜日まで生き延びられない。パニック。

 

土日を頑張って乗り越えて、やっと!月曜日!と思っていたのにあと3日の我慢は無理でした。

 

他の病院にも問い合わせましたが、早くても水曜日とかだったと思います。

この日は母が来ていました。保護されたい、すぐには入院できない、限界でした。泣き喚いていました。入院できないことに対してイライラもしていました。

 

母が何と言ったのかはわからないのですが、最初に電話した病院に何とか都合をつけてもらい、火曜日(翌日)から入院できることになりました。

 

入院が決まってからは、とても穏やかな気持ちだった気がします。やっと休める。保護してもらえる。死なないで済むんだ。今日を乗り越えれば、安全な場所で生活できる。そんな安心感だったかな。

 

入院の準備で、母に買い物に連れて行ってもらい、実家に帰って荷造り。

 

「お姉ちゃん旅行??」と弟に言われ『…ちょっと疲れたから休養してきます』「おけ(察し」と気まずい雰囲気もありました。

 

次の記事で開放病棟入院編を書きます。

 

余談ですが、昔ブログ村に登録していたのを思い出して。また登録しようかなあなんて。

 

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ここからは編集しています。

承認欲求の塊なので、ブログ村サイド登録しました。

昔も登録していたので、昔繋がっていた人とまた繋がれたらいいなという思いを込めて、自傷はあまりしないけれど、自傷のカテゴリーにしました。

次回の記事からバーナーを貼る予定です。

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