隣の芝生は青い

どんな自分が好き?

私は仕事をしてる自分が好きだ。

普段自分のことを肯定する瞬間など普段はないが、仕事が終わった後は「今日も頑張った!」と思える。唯一自分を認められる瞬間。

1年半という時間をかけてやっと働くことができるくらいに回復した。
面接に行った翌日から3日間働いて、充実感が高まっている。

しかし、これは働いていると言えるのだろうか?と思うほど、仕事中にやることがない。仕事のほとんどの時間を突っ立って過ごしている。

動いているほうが楽だからやることを探すが本当に何もない。

ちなみに私のバイトはパチンコ屋。
1年半前に働いていたのもパチンコ屋だった。

同じカウンター業務という枠組みにいるが、別の仕事内容と言っても過言ではない。
前の店では常にやることがあり、決して暇ではなかった。

突っ立っているだけで1400円貰っていいの?とは思うが、充実感や達成感が満たされない。だったら時給が多少下がってでも、理想のカウンター業務(前のお店での仕事内容)をやりたい。前の店では時給が1500円だったから尚更よかった。

今のお店は最近オープニングスタッフで入った。
オープニングスタッフなので入社時期は同じ。女性のアルバイトの中でパチンコ屋の経験者は私だけ。皆0からのスタートだから私が中心で動いている。
指示を出せば皆動いてくれる。楽でしかない。
経験者でよかったと心の底から思った。

前の店でのアルバイト、時給1500円(深夜は25%増しだから1875円)という高時給。そしてやりがいのあった仕事。何故その仕事を手放したのかというと、新人いじめが永遠に終わらなかったから。私のあとに新人が入ってこなかったから、ターゲットはずっと私のままだった。皆いい年だったが、高校生より幼いのではないかと疑うような人たちばかり。人間関係がつらくて辞めた。

今はもう1年半も前の辛かった想いを完全に思い出すことなんてできない。
だからこう思ってしまう。

前の店に戻りたい

きっと、というよりか、間違いなく、病気持ちの私にとっては今の職場が合っている。ゆるゆると、そして穏やかな人たちに囲まれた職場。

今は前の店で働いていた時より満足感や達成感が得られない。

いつだって隣の芝生は青い

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900円のパンプスの日

**2020.06.05**

アキレス腱には靴擦れの跡が多数。

私が歩いた痕跡。
しまむらの900円で買ったパンプスで歩いた今日。



ここ数日は刹那的な生き方が加速している。

アセトアミノフェンだけは「もうやめて」と悲鳴を上げる消化器官たち。一瞬の快楽、特に安心感を求めて毎日まいにちずっとずっとパブロンを飲み続けた。

もうやめたい。

やめたいと思った時にはもう遅い。

飲む度にゲロを吐き、体は怠い。
数日飲み続ければただれた胃が激しく痛む。

何日連続でパブロンを飲んでいるのだろう。
1週間は確実に飲んでいる。

昨日は摂食リア友と家でパーティーしていた。
酒を飲んで、パブロンを飲んで、瀉血して終わり。

なんて生産性のないこと。

昨日の夕方から夜にかけてパブロンOD
もうしばらく飲まない。少なくとも来週の月曜日まで我慢すると宣言したが、今日昼前に起きた時にはパブロンの瓶が空になっていた。吐き気に気づく。なんで私また飲んだの???

ほんとは気付いてたんだよ
自分がもうとっくに依存症の域に達しているって。

「やめたいやめたいやめたい」
そう思う気持ちと同じくらいの反動が押しかかってくる。

「飲めば楽になれる」
「苦しさを忘れられる」




私の父はアル中
父のことなんてさっぱり理解できなかった、今までは。

毎日同じこと繰り返して馬鹿じゃないの?
毎回迷惑かけて何がしたいの?
なんでやめられないの?
それは甘えなんじゃないの?
お酒がやめられないのは、私たちを愛していないということなの?
私たちのためにお酒をやめられないの?


パパへ
パパの辛さが全てわかったわけじゃないけど、やめようという思いと、手を出す欲求との戦い。私はわかってしまいました。わからないまま人生を送れたらよかったのだけど、遂に私もわかってしまいました。



アセトアミノフェンの過剰摂取を連日続け、消化器官が人生で1番の悲鳴を上げていた。タベモノを摂取する度に吐いた。そういえば1週間以上排便できていない。あ、そういえば排尿すらできていない。

内科へ行って「慢性胃炎」と診断を受けた。
もちろん金パブODの話はしていない。

問診と触診で腸が動いていないことがわかった。
酸化マグネシウムを2t ×3回
それと消化管機能改善薬と胃酸の分泌を抑える薬が処方された。

酸化マグネシウムを1日に6tを今の時点で3日目。
便意の「ベ」の字もない。
あー私の消化管終わったな。

利尿剤を飲んで排尿。

最近あまり食べていないのに体重が減らないのは、多分便秘と水分が溜まっているからだと思う。

心よりも体のほうが限界。
もう無理だよ痛いよやめてよと体はSOS


今日は本当に酷かった。
今日はいつものpと買い物。
金とモノのために真っ青な顔でpに会いに行った。


高い昼飯を食っては吐いて
適当に合計5万円分くらいの服と靴を買わせ
デザートの2800円のパフェも吐いた。

今朝の私はpとの買い物の後になんと更に仕事を入れていたらしい。pの後の客は長く続いている人だし、私から誘っておいて断るなんてことできなかった。この客は都度払いは安いが、この人の何が良いかというと「待ち合わせて30分後には解散している」こと。

pと17時に解散、この時には胃痛が凄まじかった。
両手に紙袋を抱えて新宿を彷徨った。

3時間激しい胃痛と戦った。
紙袋はコインロッカーに入れた。

客と合流。
「家賃滞納してるの」といつもより多くもらった。

事が終わって虚しくただ1人で歩いていた。

帰ろう

私の帰る家は、あのパブロンの瓶で溢れかえった一人暮らしの部屋。あそこだけ。実家に帰りたい、しんどい。

誰もが想像できると思うのだが、ここでホストのキャッチに話しかけられた。

「行かないよ〜」なんて言いながらホイホイついて行った。



靴ズレが痛くて痛くて、気がついたら出血していた。コインロッカーから紙袋を取り出し、フラフラの足で帰ってきた。

900円のパンプスで8万円を稼いだ日。

ただいま、パブロンの城

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英語で出会ってODパーティー


前回紹介した語学学習アプリ
Hello Talk

このアプリで仲良くなったインドネシア人と実際に会ってみたという記事を書きまーす!!

彼の名前はユージーン。私はラプンツェルが大好き。ラプンツェルの恋人の名前がユージーンということでテンション爆上がり。

そのことを伝えると彼は私のことを「Ena Rapunzel」と呼ぶようになった。
やばい、キュンキュンが止まらない。
まさか語学学習アプリでこんなにキュンキュンできると思わなかった。
さいこー!!!!!

やり取りを何日か続けていくうちに、実際に会ってみたいねという話に。
「僕がえなの家にいくか、えなが僕の家に来るかどっちがいい?」?と言われた。さすがに最初からお互いに行くのは嫌だなと思ったが、結局私の家にユージーンが来ることになった。

私は英語初心者。あちらは英語を学んで20年ほど。日本語もペラペラ。なんせ8年勉強したらしい。日本語と英語をお互いに教え合い、楽しい時間を過ごしていた。

『ちょっとタバコ吸ってくるね』とベランダに出ると「僕も久しぶりにタバコ吸いたいな」と彼もついてきた。
「えなはタバコしか吸わないの?」
『ん?どういうこと?』
「僕はたまにマリ○ァナ吸うよ。楽しいから今度一緒にしようよ」
とっても素敵な笑顔でマリ○ァナのお誘いを受けた。

すでに市販薬依存の私。違法薬物に手を出したら本当に人生が終わる。確実に地獄に落ちる。そんな未来が目に見えてた。マリ○ァナに依存性はないから大丈夫と言われた。しつこく誘われて、正直やってみたいと思った。しかし私の中のモラル、理性はまであ働いていた。市販薬依存の奴が今更何言ってるんだよと思われるかもしれないが、違法か合法かという線引きは私の中に確かにあった。

あまりにもしつこかったので『気が向いたときに今度やろうね』と誤魔化した。

ここで私はミスを犯した。
余計なことを言ってしまった。

『違法薬物はやったことないけど、市販薬ならやったことあるよ』と。
パブロンの説明をすると、彼は興味を持った。

パブロン今あるなら一緒にしようよ」

この時の私はパブロンのことで頭がいっぱいになり、飲みたい衝動に駆られていた。

そうして初対面のインドネシア人とパブロンODをするという異様な事態になった。

お互い変なこと、やらかすことはなかったことが救いだった。
結果から言うとセックスもしなかった。

最近私には性欲のかけらもない。
彼は永遠にディープキスをせがんできたが『恥ずかしいよ~』と言って全力で拒否。しかしディープキス攻撃は終わらない。

夕飯は彼が作ってくれた。

大量の油
にんにくチューブほぼ1本
しょうがチューブほぼ1本
オイスターソース
しょうゆ
めんつゆ
塩コショウ

これらの大量の調味料で米を炒めた。
その上に卵焼きを乗せ、更にカレーをかける。
カロリーと調味料の塊。

優しさで作ってもらった料理を食べないと拒否することはできなかった。
この爆弾料理を食べ終わってすぐに始まるディープキス攻撃。

おいおいおいおいさすがに無理だやめてくれ!!!
そして泊まると言い出した彼。

駅まで走らせて終電で帰らせましたとさ。

ちなみにリピートはなし。当たり前。
Hello Talkブロック
LINEブロック
Instaブロック

ユージーン、短い間だったけど楽しかったよ。
ただ、マリ○ァナだけは受け入れられなかった!
来世で会おうな!

以上、英語で出会ってODパーティーでした。


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ステイホーム 英語編

前回の記事が31日前、丸々1ヶ月ぶり。

皆さんステイホーム生活をいかごお過ごしでしょうか。

コロナに関係なく私は相変わらず無職です。
この期間を如何に有意義に過ごすかという課題。

私は英語の勉強という目標を得ました。

使っているテキストはこれ。
高校時代に英語の先生から暇つぶしにやってみてねと渡されたワークです。これがわかりやすかったので、フリマアプリで中古を手に入れて1からやり直しています。

それと並行で勉強のツールとして使っているアプリが次の写真。

【Hello Talk

自分が学びたい言語を選択します。
日本語を学びたい人とマッチングができて、お互い添削し合うことも簡単にできてとっても便利。

例えばこんな感じで添削してもらえます。

私は教科書を丸暗記するタイプだったので、いざ喋ろうとすると型に囚われてスッと言葉が出ないんです。

実際にチャットや電話で話すようになってから、考えていることを英語に変換することが少しだけできるようになりました。
外出もほとんどしない状況なので、英語しか話さない日もあったり。そんな日が続いた後に誰かから話しかけられると"Yeah"と自然に出てきます。

コロナが終わったら短期留学でもしようかな〜なんて

また詳しく近況書きます。では。


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蜃気楼より不確か

最後の更新から1週間半。調子が悪くて文章を書ける状態ではなかった。書いては消しての繰り返しをしていた。納得のいく記事をどうしても完成させられなかった。今日は少しだけ書けそう。今の思いや、過去のこと、書けるだけ書きたいだけ書いてみる。



私の存在は不確かだ。
蜃気楼よりも不確かな存在。
地に足がつかないような毎日。

あやふやな毎日の記憶。

すべてを投げだせるのなら、何もかもを放棄したい。その”すべて”とは、病気やトラウマだったり、しんどかった過去。時に人間関係。
捨てたいと思う。捨てることができないのなら、一旦休憩が欲しいと思う。


数こそ少ないが、理解してくれる人が存在することに有難さを感じる。彼女たちがいてくれていることを忘れてはいけない。それなのに、疲れてしまうと私には誰もいないような気がしてたまらない。私は一人だ。独り。独りぼっち。ひとりではないはずなのに孤独感に苛まれる。

この記事を読んでくれている人もひとりぼっちなのではないのかな。

ひとりではないはずなのに、孤独だと思ってしまうのはきっと過去に傷ついてきたからなのだろう。私は辛かった記憶があやふやになることが多い。「処女を奪われたこと」「信じていた、生きがいだった、彼がいなければ私は死んでいた、愛していた彼にあっさり捨てられて子どもまで失ったこと」これらは診断書に「外傷体験」と書かれていた。生きてきた過程で傷つきが多かったのかな。今ではあの時の苦しみなんて3分の1も思い出せないのだけれど、きっと当時の私は深く傷ついたのだと思う。

元担任に捨てられたことを第三者から見れば、ただの思春期の恋煩いとそう片づけられるのかもしれない。けれど私は彼のことを心の底から愛していたのだと今は思う。出会ってすぐに好きになって5年半という月日が流れ、最後はあっけなかった。あの時の絶望感、それこそ孤独感は底知れないほどだったのかな。思い出そうとするとクラっとするような感覚。辛くはないけど、心が体が思い出すことを拒否する。

ここまで書いて、ふと思い出したことがある。
私がもし大学を続けていたとしたら、今月卒業式を迎えていたはずだった。
同じ高校出身のあるギャルが、今ではきれいなキラキラインスタグラマー。そして彼女は4年間看護学校に通い、先月の国家試験に合格した。4月から晴れて病院勤務。彼女のインスタに数日前、私を捨てた元担任とのご飯の様子の写真が投稿されていた。元担任の顔は隠されていたが、顔なんて見なくたってわかる。可愛くてきれいな教え子が看護師になるのだ。さぞかし嬉しかっただろう。
看護師になる夢を捨てた私。元担任に捨てられた私。
看護師になる夢を叶えた彼女。元担任に笑顔でお祝いされる彼女。
心が痛くなった。心が握りつぶされているような『痛いよ、やめてよ』と言いたくなるほどに。私と彼女は何が違うの?私と元担任の関係性、卒業生と元担任、比較対象にすること自体がおかしいことはわかっている。それでも思ってしまうのだ。その笑顔を私にはもう二度と見せてくれないのね。

傷つくたびに心から血を流す。手首から血を流す。
傷つくたびに死のうと思う。今までに自殺未遂を何度したことか。
しかし、傷つきが多かったとは言え、傷つきの体験だけが私の病気のすべてではない。病気を傷つきのせいにしているわけでもない。こんなことで傷つく私が弱いだけだ。心のキャパシティが広かったら、寛容であれたら...違う人生を送ることができたのかもしれない。病気になった理由は「私が弱かった」それだけ。



生きることを諦めないで
いつまでも、何があっても
生にしがみついていて。

そう自分に優しく言ってあげた。


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私の障害年金受給申請

障害年金のお話。今日も障害年金申請のための病歴申立書を作成している。私には文章を書く能力が少しあると思っている。けれども、年金申請に関しては文章力が問われるのではない。的を得た答えが具体的かつ詳細に書かれていることが大切。前回の記事にも書いたが、申立書は3年~5年のスパンでどのような状態だったかを書かなければいけない。最長5年の状況を詳しく書くとなると、結構な長さの文章になってくる。記載のスペースは小さく、書ききることは不可能だった。はみ出した量を別紙に記入して貼り付ける方法があることを知った。そうして3つ分を書き終えた。何度読み返しても『本当にこれでよいのか』と心配になった。自分の限界を感じて、年金についての本を購入した。「精神疾患にかかる障害年金請求手続き完全実務マニュアル」という社労士の方が執筆したもの。結論から言うと、この本は大変参考になった。

例として私が最初に書いたものと、本を参考にして直したものを記載します。

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私が最初に書いた内容
平成23年○月○日から平成○年○月○日まで
中学1年生から母親との喧嘩の度に酷く落ち込み、自己嫌悪感からリストカットや、鈍器で体を殴るといった自傷行為を繰り返すようになった。中学2年生、慢性的な鬱状態から希死念慮を抱くようになった。徐々に遅刻と欠席が増えた。中学3年生、基本的には登校ができなくなった。登校できたとしても、鬱状態により授業を受けることが困難で保健室で過ごしていた。部活動にも徐々に参加できなくなった。自傷行為は悪化し、自分の手で首を絞めていた。養護教諭から心療内科への受診を勧められ、平成23年4月○日***クリニックへ通院を開始。3週に1回の頻度で通った。カウンセリングによる心理療法を行った。次第に通院することが難しくなる。臨床心理士との相性が合わなかったこともあり、同年8月で通院中止。自殺念慮と不眠が顕著に現れた。毎日死ぬことを考え、道路に飛び込もうとしたり、首吊りを試みたこともあった。平成23年12月○日に□□□病院精神科を受診。薬物療法を開始した。2週に1回の頻度で通院していた。
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本を参考にしてから書いたもの
平成23(省略)
鬱状態が酷く学校に通うことができなかった。平成○年○月○日***クリニックを受診。3週おきに通院しカウンセリングによる心理療法を受けていたが、通うことが困難であり、臨床心理士との相性が合わなかったこともあり、同年8月に通院中止。
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今の段階では、まだ役所に提出していない。納得がいくまで推敲をしてから提出したいと思っている。これで年金受給が通るかはわからないが、本を参考にしてよかったと思う。申立書に関しては、こんな出来事があったなどと詳しく書かなくてもよいのだ。
申立書とは別に、捕捉文書を作成した。
一部抜粋
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「日常生活で不便に感じていること」
障害年金請求人:えな (代筆 母 〇〇)
⑶ 金銭管理と買い物について
金銭を独力で適切に管理し、らりくりがほぼできる。また、一人で買い物が可能であり、計画的な買い物がほぼできるなど。
□できる  
□自発的にできるが時には助言や指導を必要とする 
■自発的かつ適正に行うことはできないが助言や指導があればできる
□助言や指導をしてもできない若しくは行わない 

(状況)
 金銭管理と買い物はほとんどできません。何を買うべきなのか、必要なものがわからないようです。
 外出はほとんどできないので、買い物には私が車で連れて行っています。
.


平成28年9月1日以降の審査では、等級判定のためのガイドラインを用いて、「日常生活能力の程度」と「日常生活能力の判定平均」により等級の目安が決められる。その為、当事者の障害の状態について、診断書作成医ならびに障害年金の事務にかかわる人たちに的確に伝えることが欠かせない。そこで「日常生活で不便に感じていること」等についてまとめて、判断の参考について伝えることが重要になる。診断書様式に準拠した形にすると、医師にも年金事務所等の職員にもわかりやすい。なお、文書化にあたっては、筆者の記述はできるだけ当事者の家族が良い。病歴申立書同様、信憑性を高めるためである。

私は文書の作成を自分で行ったが、上記にあるように信憑性を高めるために母親の代筆のとして書いた。精神障害または発達障害、知的障害においては、この複数枚にわたる文書の作成は難しいと感じる。私は奇跡的に文章を書けるので自分で書いたが、自分で書くにしても家族が書いたように装ったほうが年金受給の審査に有利だと感じた。

申立書の作成、及び診断書を作成してもらうには、かなりの時間と根気をなければいけないと当初ネットで知った時には、そんなことないんじゃない?書けばいいんでしょ?と思ったが、的を得て文書を作成することは想像以上に大変であった。時間をかけて文書を作成しているが、まだまだ時間はかかるであろう。

私には幸い、病気と年金受給について家族からの理解がある。そして文章を書く力があったから良かったが、自分で書くことができず、家族からの理解もなく代筆してもらえない人は多いのではないかと思う。そんな困難な状況にある人にとっては、生きていくための年金受給に関しての文書作成、手続きはかなり難しいのでは?と感じた。『申立書の作成を援助してくれる、アドバイスをくれる支援はありますか?』と役所の年金担当に聞いたところ「そのような担当はいません」とあっさり言われた。突き放されたような気分になった。市のホームページの障害者支援のページを検索しても、冷たい印象を受けるものであった。

ちなみに、補足説明においてはこの記事のように「~であった」などと固く書くよりも、より当事者(家族)として感じていることをですます調で書いたほうが印象がいいのではないかと、書いてみて思ったことだった。

この文書作成においては、年金が下りることが目的である為、多少大袈裟に書きたいと思うし、より悪い状態で書くほうが良いとは思うが、あまりにも大袈裟に書くと医師の診断書と程度の差が出過ぎてしまうので、診断書を照らし合わせて程度を適切に書くことが大事かなと。

これから書く人にアドバイスをすると、申立書の作成には時間がかかる。医師が診断書を出してくれるまでにも数週間という時間が必要。私がそうであったのだが、どちらにも時間が掛かるので一刻も早く年金を受給したいという思いから、診断書の作成依頼と申立書の作成を同時にした。結果、診断書を見たところ、自分が思っているよりも軽度の病状で書かれていた。何故かというとが、普段の限られた時間での診察では医師が作成する診断書にある「適切な食事」「身辺の清潔保持」「金銭管理と買い物」「通院と服薬」「他人との意思伝達および対人関係」「身辺の安全保持及び危機対応」「社会性」これらの7つの項目すべて、自分がどの程度できるのかを正確に伝えることがほぼ不可能であるからだ。
この点を考えると、まず申立書をある程度仕上げて、それを医師に見てもらった上で診断書を作成してもらうのがベストである。
20代前半までの人が年金受給を申請するのであれば(この記事を読んでくれる方は、若い方が多いだろうと想定しています)焦る必要はないのだ。何故なら、年金を貰えるのは現在から5年間まで(発症した日から)辿ることができる。未成年で年金受給の対象となる病気、うつ病双極性障害統合失調症などを発症した場合、20歳になったタイミングが「障害認定日」(発症した日)とされる。その為、25歳になるまでは申請を急ぐ必要がない。しかし、年金受給を却下された場合不服申し立てをするか、時間をあけて(半年以上がいいのかな)再度申請をしなければ受給ができない。それでも通らない人もいる。私は現在23歳。不服申し立てと時間をあけての再度申請のタイミングを考えるとしたら、1年半くらいの余裕を持てばいいかな。今か、余裕がなければ半年後までに申請するのがベストとなのではないかと考えている。ただし、診断書の作成日から半年以内に申請をしなければいけないので、診断書を書いてもらっていたとしたら、半年以内に頑張らないと診断書の決して安くはないお金を払うだけになってしまうので、そこだけは注意しなければならない。


まとめ
⑴ 障害者年金の受給申請には、かなりの時間と努力が必要。
⑵ 申立書の欄には、はみ出さない程度であっさりとまとめる。
⑶ 補足説明は診断書様式に準拠した形で書くと良い。
⑷ 代筆してくれる親族がいれば任せるのがお勧め。
⑸ 申立書を医師に見せてから、診断書の作成依頼をする。

支援が必要な病気の方、障害をお持ちの方が、適切な支援を受けることができますように。


※今は申請の段階であり、この方法で通ったわけではありません。しかし手直しをして手応えはありました。数ヶ月後にどうなったかの結果を載せます。

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