言葉の影響力ってとてつもない。
小さい頃に言われた嫌なことが忘れられない。
前のブログかTwitterで言ったことあるけど、私SNSがない時代に生まれたかったな。
SNSの誰か1人の言葉に感情左右されたくない。
私が強ければそんなこと気にしないでいられるのだろうけど、気にしいなので、誰かが誰かの悪口言ってると全部自分のことかと被害妄想します。
SNSで簡単に情報を得ることができる反面、間違った情報に操られることもあるよね。
いじめの原因になることもあるよね。
私はメリットよりデメリットの方を多く感じる。
たかがSNS、顔の見えない相手が自分の発信を見たり聞いたりする。
だけど、誰にも言えない悩みを受け入れてもらえたことや、共感してもらえることは私の救いになった。
そしてSNSで繋がった友達もいるし、そういう手段がなかったらきっと出会えなかったなっていう人もいる。
メリットがあればデメリットがあるのは当然なんだけど、難しいなあ。
------------------------
私の元々の夢は看護師。
小さい頃病気で…病院にお世話になって…というわけでもなく、なんとなく小さい頃から看護師になりたかった。
だけど普通の大学さえ通えなかった私が看護学校に行けるわけもなく、諦めました。
私の病状をよく知らない人は「22歳なんて若いんだから!やれるだけやりなよ」と言う。
けど、無理とわかっている道に何百万とお金をかけられる余裕はない。お金が有り余ってるなら挑戦するけども。
高3の時主治医に「えなには看護師は無理だよ。身体的にも精神的にも」と言われて看護師の道は閉ざされた。
14歳の頃から私のことを診ている医者にそう言われたのだから無理なんだと思う。
若干病気を言い訳に諦めた部分も正直あるけど、薬の影響とストレスで手の震えはひどい、手が震える看護師に採血されたいなんて誰も思わない。何もなくても発狂するような毎日で勉強なんかできない。
そんなこんなで看護師を諦めて、ある時教育の分野に興味を持った。
医療の知識と教育をどちらも活かしたいとなったら養護教諭という職業が思い浮かんだ。
それが高4の5月。
それまで大学なんて考えていなかったけど、養護教諭になりたいと思ってからは必死に大学を探して勉強もした。
定時制の高校だったから、まあ頭が悪い人たちばっかりだった。
高1の英語の授業はbe動詞だった。
そんな授業内容だったからテストでは100点じゃなかったら焦った。
そんなレベルにいたから、大学入試は私にとってしんどかった。レベルが高かった。
今の時代には有難いことにAO入試(自己推薦)があって、私はそれに挑んだ。AOで決まらなかったら一般入試を考えていた。
本来の私は根暗だけど、スイッチが入ればハキハキ喋るし、人見知りもしないで頑張れる。バイトの面接は落ちたことがない。第一印象は良くできる方だった。キャバ嬢やってたくらいだから普通だけど…
AO入試は2校受けた。
養護教諭の免許を取れる大学は少ない。
看護学部に入って、選択をすれば養護教諭の教職は取れるけれど、看護学部に入るくらいなら看護師になりたいし、看護師って言うくらいだからレベルも高くて私には無理だった。
1校は事前書類の審査と面接、映像を見て小論文を書くものだった。
もう1校も事前書類の審査、面接、小論文。この大学の小論文は選挙権の年齢を18歳に引き下げたことについてだった。
1つ目は余裕で合格した。
偏差値は30後半。
もう1校は偏差値が50くらい。
私には無理なレベルだったけれど、奇跡的に合格してこの大学を選んだ。
あのエナが??チャレンジ受験みたいなもんだったのに受かったの??
担任たちにはビックリされた。
たくさん応援してもらったし、その恩は教員になって返すつもりだったけれど、私は大学生活に馴染むことができず、朝起きる生活もしんどく、2年の春には不登校になった。
着替えて化粧をして準備万端。
家を出る時間が刻々と近づく。
段々と具合が悪くなる。
なんとか頑張って出発しようとする。
「いってきます」と言い、ドアノブを掴むと突然襲う吐き気、腹痛、目眩。
体が全力で拒否をした。
そうして2年の5月に大学に行けなくなり休学。
後期から復学!
1週間でダウンした。
その頃色々とあり、ストレスも重なり、正常な判断ができなかった。
あれだけ頑張ったのに大学をあっけなく辞めてしまった。
休学は最長で2年できた。
今でも後悔している。
ただでさえ高校生活を4年した私は皆より1つ年上だったことは焦りだった。
さらにこのまま休学を続けたら、授業を一緒に受ける子たちは2個下3個下…
それならやめたほうがいいとその時は思った。
大学なんて浪人留年いろいろいるんだから気にしなければよかった。
そして大学を辞めて宙ぶらりんになった。
去年の冬、さすがに水商売だけで生きていくのは無理だと感じ、手に職をつけることにした。
やはり医療の道は諦められなかった。
医療行為、看護もできないけれど、病院で働きたかった。医療事務を選んだ。
今年の3月から6月まで講座に通って医療事務の勉強をした。
だけど、調子を崩したこともあり、やる気をなくした。
7/28に医療事務の資格取得の試験だったけれど、試験料の払い忘れで来月末になった。
未だに勉強はしていない。
もはや医療事務になる気はない。
7〜8万かけて通った講座だからさすがに資格は取るけれど、やる気はさらさらない。
医療事務もやりたくない。これからどうしよう。周りは新卒で働いている。バイトすらできない。焦る日々だった。
そんな中やりたいことを見つけた。
今までとは全く違う分野。
10月末に整形をする。
DTが1ヶ月以上あるから、今就職すると休みが取れない。
その都合で就職は2020年からにした。
12月から就活を始めようと思う。
もしそのやりたいことで職が決まらなかったら、妥協で医療事務として病院で働こうと思う。
私は「非正規雇用」という言葉が何故か心の底から嫌いだ。
高校生の頃は非正規雇用者として生きていくのだけは嫌だと思っていた。
絶対に正社員にならないとと決めていたけれど、実際今の病状と失った体力で正社員は無理がある。
幸い家族は私の病気に理解があって、サポートしてくれる。
最悪、働くならコンビニで週1、1日2時間でもいいと言われている。ありがとう両親。
私も自分に限界を感じているから、就活といっても非正規雇用か契約社員になると思う。その予定。
まさか自分が社会から疎外された人間になるとは思っていなかったな。
人生何があるかわからないし、思ったより自分が何もできなくて笑う。
暇すぎて3000文字くらい書いてしまった。
そう考えると2000字の小論、レポートなんて楽勝かよ。
とりあえず一回ここで切ります。
パブロンキマったクソみたいな人間の拙い文章を読んでくれてありがとうございます。