11/23〜11/25 (後編)

相変わらず長い文章になります。
覚悟して読んでね💓

文章を書くのことは趣味。
趣味で楽しく書くこともできなくなった。
今は少し落ち着いているから、書けるうちに書いておく。いつ入院するかわからない。いつ死ぬかもわからない(自殺とかではなく、不慮の事故とか含めてね)

信用できる人を沢山失って、Twitter、インスタも怖くなった。facebookで、公開する人を厳選して、辛いことをひたすら書いた。誰かに聞いてほしかった。辛い状況をわかってほしかった。構ってちゃんと思われてもよかった。

facebookを見た中学の頃の養護教諭からメールが来ていた。
「可愛くて優しくて我慢強くて、いつも相手のことを考えているえなちゃんは幸せにやってるに違いないと思ってたから。そんなに苦しんでいるなんて。きっと大変だったんだね。私にできることあるかな?」と優しさ120%のメールだった。
事情を説明したあと『中学生の頃助けてもらった感謝を、いつか笑顔で立派に仕事をしていますと報告したかったです。先生とまたお話が出来て嬉しかったです。ありがとうございます。』と返信。
ここからは長いけど全文載せる。
「夜中にごめんね。私は中学2年と3年のえなちゃんを知っている。一度○○で会ってお話しした。あの時は、お姉さんになっていてしっかりしていて安心した。えなちゃんは、これからいろいろなものになれると思う。願いはすぐには叶わないけど。ナースになるのも悪くない。えなちゃん、勉強出来きたしね!運動も出来たね!そして友達作りもうまかった!
今の人への不信感を少しずつとりのぞいて、安心して過ごせる場所と人に恵まれたら元気になれる。えなちゃんを想ってくれる優しい人は必ず絶対いる。私も適当だけどえなちゃんを気にかけてたひとり。
少し元気になってやる気が出たら、そしたらまた夢に向かえばいい。ナースになって欲しいよ。今看護師は人が足りてないから。世のため人のために困っている人の支えになれるよ。えなちゃんの実力だったらなれる。
学校通い続けたりするのは、気力とお金がいるから大変だけど40代から専門学校に通ってナースになる人もいるから。夢はあきらめないで。
そしてえなちゃんみたいに苦労している人は情が深いからきっと頼りにされる。人の助けになって活躍するよ。
"きっと誰よりも子ども時代に苦労しているんだと思った。中学生のえなちゃんをみてそう思った。支えて欲しい時期に大人たちの悩みが深くて周りが忙し過ぎて、ついでにえなちゃんが優しくて感受性が強くて物分かりの良い子どもで。いっぱい傷を背負ってた。そうは言わなかったけど身体中で愛してって叫んでた。私の微々たる力では受け止めてあげられなかった。"
人って周りにすごく恵まれる時期と恵まれない時期があって。ひとりでもえなちゃんのことを愛してくれる人に出会えればパッーと人生が変わる。自分だけではどうにもならない時期は落ち込むし辛いしダメな自分ばかり見つめてしまうけど。ちゃんと居心地の良い人に出会える時期が来る。もう少し待ってごらん。
人との出会いは平等だと思うもの。昔の友達から一歩抜け出して新しい関係を築くエネルギーと勇気が湧いてくるといい。少し時間が必要かな?とにかく生きているだけでいい。生きるために必要だったら入院すればいい。辛い時間の今を少しでも居心地良く過ごして欲しい。
もっと自分に優しくなって。
誰でも気持ちが沈んだり自暴自棄になったりのギリギリを歩いてる気がする。誰もが精神的に参る時はある。特に精神的に高等な人ほど傷つきやすい。入院は、治すためにするもの。だから良くなれば誰よりも健全でまとも。そしてさらに人間性が高まって深みの出る大人になる。傷になんかならないよ。きっといろいろなトラブルもえなちゃんのこれからを生きる人生にとって必要だったんだと思える時期がくる。だからとっても嫌だった事から何かを学ぶしかないんだけど。そう思うようなるには勇気がいる。
いつかずっと先は、薬も減らして手放せるようになるといい。そのための入院と治療。苦しい時間を共有してはあげられないけどえなちゃんはきっと前に進んで歩ける気がする。
(今回の事件に関しては伏せます)(今回の事件に対して、)私はえなちゃんを信じる。えなちゃんの真面目さや優しさを知ってるから。
気力が出たらどこかでお話ししようね。何にも出来ないけど。こちらこそ返信してくれて本当にありがとう。とても嬉しかった。いつでも優しいね。ありがとう」

信じてくれる人がいるという事実。
それと特に嬉しかったのは""で括った部分。
私ずっと辛かったんだ…愛してほしかった、わかってほしかった。その辛さを、先生は当時からわかってくれていた。先生なりに支えてくれた。理解してもらっていたという事実を8年越しに知れた。ずっと心配されていたこと、覚えててくれていたことが本当に嬉しかった。
私が病気になったのは、私自身が悪い子だったから、私の気質が悪かったから。ずっとそうやって自分を責めていた。けれどカウンセラーから病気の原因を(たしか)①私の繊細さ ②両親の不仲 ③親戚関係と説明されて、私はとても救われた。両親を責める気持ちはない。ただ、私が100%悪いわけじゃないと知ったことで、少しだけ救われた。そして養護教諭もそれをわかってくれていたんだ、と救われた。先生本当にありがとう。先生の保健室は居心地が良かった。窓際のベッドで休ませてくれた。
BGMは「The Rose」 Some say love, it is river, that drowns the tender reed
あの温かい保健室にもう一度行きたいよ。

道路のど真ん中で寝転びながらえんえん泣いた。がんじがらめの気持ちが少し解放された気がした。ちょっとだけ解れた。私は何かを許された気がした。多分、生きてていいんだよと。生きることを許された。涙は止まらなかった。先生、先生、先生、私頑張るね。

冷静になって家に戻った。何度も読み返した。

そして眠りについた。
次の日はどうやって過ごしたかわからない。

先生のメールは私に生きる希望を与えてくれたけれども、このメールで事態が変わったわけでもなく、感情のコントロールは相変わらずできなくて泣いていた気がする。

最近眠りは浅く、1日長くて3時間程度しか眠れない。お腹は減る。グウグウ鳴る。ただ、食べようとは思わない。お腹が空くことと食欲は別なのだと知った。食べても吐いてしまう。太りたくないとかではない。そんなこと言ってられない。生きることを拒んでいる。吐き気がする。頑張って食べても吐くから無駄of無駄。唯一バナナとビスケットだけは何故か大丈夫。母が買ってきてくれた天丼の弁当はびっくりした。その時は味がわからなくなっていて、ボンド味の粘土を胃に詰め込んでいる感覚だった。もちろん吐いた。

養護教諭以外にも、いとこのお姉ちゃん、中学の友達、高校時代のボランティアで出会った夫婦、同じボランティア活動をしていたスタッフ仲間、沢山の人から心配と応援のメッセージを頂いた。

事件は解決していない。
私はもう地元に居場所がなくなった。
いずれ引っ越すことになると思う。
いっそ東京から出ようとも考えている。

生きているだけでありがとうと言ってくれる人がいる。私はこれからも生きていこうと思う。2年前の10.11月にも辛いことがあった。とっても悲しい出来事。あれ以上に辛いことはもうないだろう、あったとしても乗り越えられると思っていた。

今回の事件には本当に心がやられている。ダメダメだなあ私は。まだ山は越えられていないけど、死なないことを目標に、頑張っていく。

生きていく。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

次回は、入院できる病院探しと、ある病院を出禁にされたお話をします。

追記
思った以上に沢山の方に読んでもらっているようで、とても嬉しく思っています。大したことは書いていないけど、数個の記事が何度も注目記事1位になったり、自傷部門でも今は6位かな?ありがとう。

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