11/23〜11/25 (前編)

3件の騒動に疲弊して、開放病棟に入院。病棟(主治医と看護師たち)や病院の方針に合わず、3泊4日で退院。しかし3泊でもある程度心は回復した。

退院した翌日(土曜日)、親友のNちゃんと遊んだ。
アナ雪2を観た。正直調子は悪かった&病み上がりで、映画の内容は頭に入らなかった。しかも前作と比べて話が難しかった。恥ずかしながら理解ができなかった。

帰りに「えなちゃんに大事な話あるんだった!」と突然言われた。嫌な予感しかしないぞ…今聞いても私は大丈夫なのか?と思いつつも、気になって聞いてしまった。

入院前の3件の騒動がちっぽけに思えるくらいの衝撃的かつショッキングな話だった。この事を正確に書く気力と自信がないから省略する。ごめん。ただ、誰のことも信じられなくなるような話を聞いた。

最初は冷静でいられた。Nちゃんに『話してくれてありがとう』と伝えた。しかし時間が経つにつれて溢れ出る涙。この時私たちは電車に乗っていた。隣に座っていた。私はNちゃんに気づかれないように、顔を髪で隠して密かに泣いていたが、鼻水もズルズル。無理だった。

途中の駅でNちゃんは乗り換えた。一人で電車で泣いて帰った。静かに泣いていたが、電車から降りた瞬間に声を上げて泣いてしまった。

もう無理だ。限界だ。死のう。パニックになった。
家族に心配はかけたくない、それにこんなに泣いていることを知られたら、今すぐ駆けつけられる。死ねなくなる。だけど誰かに話を聞いてもらいたかった。Nちゃんの次に仲の良い、高校の同級生に電話をかけた。

『私疲れちゃったよ。もうどうしようもない状況になってしまった。どうしてかな。つらい』
「どしたの!!!」

話を聞いてくれた。
電話に出てくれたCちゃんは、この時3年記念日で彼氏と過ごしていたらしかったけど、その時間を割いて私の話を聞いてくれた。「えなのことを傷つけた人たちを全員ボコボコにしたい」と怒ってくれた。彼女に20分話を聞いたもらって少し落ち着いた。自殺をしなくて済んだ。言い方を変えれば死ねなくなってしまった。死ぬ勇気を失った。この世に未練があることに気づいた。

それからはどうやって過ごしたのか、よくわからない。次の日、つまり昨日、昨日の記憶すらほとんどない。自殺をしようと頑張っていた気がする。何をしていたんだろうとカメラロールを今見てみた。ベッドに包丁が置いてある写真が出てきて思い出した。

昨日の夕方かな?突然プツンと意識が途切れた感じがした。気づいたら枕元に包丁。20分くらい時間が経っていた。寝ていたのだろう。

調子が悪いことを母に伝えてあった。仕事を終えた母が、食料を買ってきてくれた。そして洗濯掃除洗い物すべてしてくれた。ご飯も作ってくれた。私はベッドに横たわっていた。
『あのね、元気に見えるかもしれないけど、元気がなくて起き上がることもできないの。何もできなくて、やらせてしまってごめんね』
「わかってるよ大丈夫」
ありがとう、理解のある母でよかった。

母にこれだけ色々してもらっていたのに「早く帰ってくれ、パブロンが飲みたい」とずっと思っていた。

私の自殺願望が伝わってしまったのか、何かやらかすと思ったのか、母は「今日はここに泊まっていこうかな〜」と言った。『ごめん、帰って』と言った。本当に最低な娘だと思う。ママごめんね。

母が帰って、すぐにパブロンを飲んだ。
早く効いてくれ。楽になりたい。

パブロンを常習的に飲んでいるせいか、結構な量を飲んだはずだったのに、何も効果はなかった。ちなみに今もパブロンが35錠入っているが、シラフと変わらない。

そのあとはひたすら死ぬことを考えていたと思う。死にたいわけではない。ただこの現実を受け入れられなかった。最初は夢かと思ったんだ。でも違った。現実だった。受け入れられないから逃げようと思った。だから死ぬしかないと。死ぬ方法は決めていた。ただ、死んでまで家族に迷惑をかけたくなかったし、大切な人へそれぞれ伝えたいことがあった。荷物をちゃんと整理して遺書を書いてから死のうと決めた。文字を書く気力も体力もなく、手も震えていたから、iPhoneのメモに「Nちゃんへ」「Cちゃんへ」それぞれ書いた。

遺書を書くのは初めてではなかった。割と冷静な気持ちで2人分を書いた。何故か少し誇らしい気持ちだった。私が死ぬことを悲しまないでとも書いた。

他にも書きたい人は沢山いる。
高校時代の担任の先生たち3人にはお世話になったから、遺書とまではいかなくても感謝の気持ちと挨拶はしたかった。いとこのお姉ちゃんと、家族にもそれぞれ書きたかった。

2人分書いて「疲れたなあ、あとは明日にしよう」そうして横になった。
突然 "それ" は訪れた。
心拍は早かった。体を動かしたくなった。ムズムズした。叫びたかった。何に対して思ったのかはわからなかったが、なんとなく楽しかった。5分前まで遺書を書いていた人間が『生きるってサイコー!』と踊っていた。
完全に躁状態だった。

はなわの「埼玉県のうた」を大音量で流して、腰を振って頭も振って踊った。そのうちダンスだけでは物足りなくなった。普段ベッドで寝ているだけの生活、動かないから代謝も悪い、体温も低く、いつも寒い。ユニクロの極暖ヒートテックを着ていた。暑くて暑くて半袖半ズボンに着替えた。そしてiPhoneだけを手にして鍵もかけずに外に飛び出した。

叫ぶのは我慢した。その代わりに全力疾走した。時々ジャンプもした。楽しい、幸せ、体を動かすのってこんなに気持ちいいんだ。真夜中に誰一人歩いていない田舎を全力で走る女。冷静に怖い。

途中でペースは落ちたが、アドレナリンが大量に出ていたのか、普段絶対に走れない距離を走った。それでも辛くなかった。まだまだ走りたかった。自分が躁状態であることら理解していた。デパケンを一応飲んで外に出てきたけど、静まらないテンション。

道路の真ん中に寝転がって、足をバタバタさせたり、ゴロゴロ転がってみた。冷たいアスファルトが気持ちよかった。完全にヤバイやつだった。警察に見られていたら確実に保護されていただろう。幸い、警察さえいないような田舎だった。

道路に寝転んだ状態でSNSをチェック。そしてメールボックスを確認。すると「どう?」というタイトルのメールが受信されていた。差出人は中学の頃の保健室の先生だった。

次の記事に続きます。

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