死にたいと嘆きながらも今日を生きていく

最近は気持ちを言語化することが難しくなっている。調子が悪い時には、記事を書こうとしても簡単な文章しか書けない。それも2.3行。その2.3行を書くのに、書いては消しての繰り返しの作業に何時間もかけている。2.3行が書けたとしても、結局文章が気に食わなくて消してしまう。今日は少し鬱がマシだから、私の今の最大限の力で記録を残そうと思う。

人との約束や、何かの予約、そういうものを守れなくなった。この言葉で全てを片付けるなと自分でも思うが、何もかもが"怖い"。人と会うこと、人と話すこと、外に出ること、知らない人から視線を浴びること、それを考えると何もできなくなる。歯医者の予約は3件くらいキャンセルを続けている。さすがにもうあそこには通えない。昨日は友達との予定をキャンセルした。人との約束を守ることなど、できて当たり前。できなかったら社会のゴミなのだ。私はゴミだ。

一人暮らしに限界がきている。薬のODで体がボロボロ。退院してからの生活は、ODをしなかった日よりも、ODをして過ごした日々の方が圧倒的に多い。ODをやめるためにできることは、実家に帰ることだと思う。けれど実家に帰るという選択肢が私にはない。
私にとって一番大切で、優先するべき存在は弟と妹。2人に迷惑をかけたくない。両親にも迷惑をかけたくない気持ちは勿論ある。けれども、弟たちに迷惑をかけるくらいならば、両親に迷惑をかけるべきだと思う。
私は今死の瀬戸際にいるのだと思う。死なないためには親の監視下にいるべきだと考える。しかし、実家に帰って、弟と妹に辛い思いをさせることが一番嫌だ。私が存在しているだけで、空気がピリつく。そんなことで弟たちに苦しい思いをさせたくない。だとしたら私は帰るべきではない。あの家に私の居場所なんて最初からないのだ。弟と妹に、こんな人間が姉だとも思って欲しくない。2人には心の底から申し訳ない気持ちでいる。本当は、成人した弟とお酒を飲んで楽しみたい。受験が終わった妹と他愛のない話をしながらお出かけもしたい。そんな幸せな思いをすることは私には許されないことだ。私は1人で離れて暮らすことが、今まで家族にしてきたことへの罰なのだと思う。

人と喋ることすらストレスになっている。予想していなかった答えが返ってきた時、欲しかった言葉が返ってこない時、それだけで私はイラついてしまう。このイライラはきっと鬱からきているのだろう。わかっていても、イライラは止まらない。自分の為にも相手の為にも、話をしないことが最善だと思う。人を避けるようになった。
この人にこの話をするのはマズい。この発言はしていけないということを、言ってしまうことが急激に増えた。こんなミスをすることなんて、今までなかった。私は人を傷つける発言を当たり前のようにするようになった。

今思えばここまで調子が悪くなる前までは、苦しい気持ちを言語化できていたことが幸いなことだったのだと気づいた。今の私には言葉で気持ちを伝えることができない。支離滅裂な文章でも、この記事を書くことができている今は奇跡的な状況。大袈裟ではなく、本当に奇跡。

近頃の私は、セックスをしているか、ODをしているか、酒を飲んでいるか、リストカットをしているか、そんな日々を送っている。どれもが行き過ぎた行動。逸脱行為が止まらない。感情も行動もコントロールが効かない。

主治医には諦められてしまった。カウンセラーの先生だけは、私のことを諦めないでいてくれている。この記事も読んでくれるはず。カウンセラーの先生、母親、Nちゃん、Cちゃん。この4人が私を見捨てずにいてくれているおかげで、私の命は続いている。見捨てられたくない。助けてください。その思いとは裏腹に、私のことはもう諦めて捨ててくださいと思ってしまう。そうすれば私もこの世に未練なく死ぬことができる。

昨日母親に言われたこと。「何が今いちばん辛いの?聞いてはいけないのかもしれないけど」この言葉に私は苛立ちを覚えた。母親は最大限気を遣って、自分ができることを見つけようと私に寄り添ってくれていたのに、その言葉すら拒否してしまった。私がその言葉に対して何を思ったかというと『何が辛いのかわかれば対処しているし、わからないから辛いんだ』ということ。今日起きてから少し冷静になって『今なら話せるから話を聞いてほしい』と言い、現状をすべて伝えた。ODセックスリストカット

お母さん
こんな娘でいることを、心の底から申し訳なく思っています。本当にごめんなさい。


一昨日のカウンセリングで、私は泣き続けた。ふとした些細なことで、嗚咽を漏らして泣いていた。泣いている途中、途端に冷静になる。何故泣いているのだ、こんな醜態をカウンセラーに晒したくない。そう思うとスイッチが、涙が止まる。涙が止まった瞬間には、何を思い、何を考えて泣いていたのかがわからなくなる、思い出せなくなる。涙が止まった時、時には笑いが込み上げた状況もあった。さすがに頭がおかしい。そんなおかしな姿も見せたくなかった。必死に笑いを堪えた。涙が止まると突然冷静に話をし始める私をカウンセラーはどう思ったのだろう。カウンセラーに言われた正確な言葉は思い出せないが、突如冷静になって何を思って泣いていたかが思い出せないことは、心を守る為に必要なことだと、そんなようなニュアンスのことを言われた(ような気がする)。納得がいった。私はもうこの現実に耐えることができない。心を守る為に、思い出せなくなるのは、仕方のないことなのかもしれない。

今までも記憶があやふやになることは日常的にあった。それは高校2年生頃からだった。それでも今ほど記憶がない生活を送ったことはなかった。今はどうやって生きているのか、1日何をしていたかが全くわからない。極端な話が先程書いた、何を考えていたか一瞬で思い出せなくなることだ。ストレスで記憶があやふやになってしまうことを、認めたくなかった。何故なら私より辛い思いをしている人は沢山いる。その中で懸命に生きている人も沢山いるのに。恵まれている私がこんな状況で生きていることが申し訳ない。私は記憶がなくなるほど辛いわけではない。それこそ記憶がなくなってしまう人たちに申し訳ない。普段飲んでいる薬のせいで記憶がないのだと思っていた。勿論それはある。けれど、カウンセリングの最中に一瞬で思い出せなくなる体験をして、薬のせいだけではないと"わかってしまった"

そんな酷い状況のカウンセリングだったが、私は泣くことができたことが進歩だと思えた。カウンセラーも言っていたが、信頼関係が強まってきているのだと私も思う。いくら仕事とは言え、私に全力で向き合ってくれているその姿が、私にとっての救いだった。鼻を啜って静かに泣くことはあっても、声を漏らして泣くことなんて私にとってはあり得ない。恥ずかしい気持ちは勿論のこと、そんな姿を見られることで捨てられることが怖いからだ。その怖さを乗り越えて私は泣くことができた。それでも怖さが完全になくなったわけではなかった。カウンセラーがどうこうではなく、生きていく中で起こるすべてのことが怖い。震えが止まらなかった。なるべく泣かないように頑張った。今はもっと泣けばよかったと後悔している。

記憶がなくなるほど辛い現実とは何なのだろう。何がストレスなのか、私にはわからない。私がわからなければ誰もわからないのは当たり前だ。誰か助けてください。このままでは私は死んでしまう。今回こそ本当に死んでしまう。自殺をやりきってしまう。完遂してしまう。

心が痛い。苦しい。もしかして心は胸にあるのかもしれない。比喩ではなく胸が締め付けられて苦しい。心臓を鷲掴みされているような、そんな感覚である。

この苦しみを手放せるのであれば、自殺で終わらせたい。首を吊って死ぬ想像が頭から離れない。

ここまで約3千文字。思いを言葉にすることは、思っているよりも体力を消耗する。疲れた、疲れた。少し寝よう。意識がとゆでいってしまうくらいに眠い。

今日も1日、生きていけますように。

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