言えずに隠してた暗い過去

前のブログから読んでくれていた人は知っていることかもしれないけど、改めて過去を振り返ってみようと思う。

私は今まで沢山のことに傷ついてきた(らしい)(ということをカウンセリングで思い出した?)

私の初体験は、ほぼレイプだった。何故あの時拒めなかったのか、拒めたとしたら処女を奪われずに済んだのではないか。少しでも自分の中に好奇心があったのではないか。無理矢理されたけど、私にも落ち度があった。そうやって今まで自分を責めてきた。けれどもあの時の私は、まだ15歳だった。相手は大人、それも男性を目の前に拒めるような判断力は15歳だった私にはなかった。それにつけこんでいい思いをしたあの人は、れっきとした犯罪者ではないか。そう思えるようになってきた。

奪われた体。心に穴ができた。その心を埋めるように次々と男性を相手にした。気持ちよさなんて、これっぽっちもなかった。汚れてしまったのなら、いっそどん底まで落ちればいいと思っていた。

それから援助交際を始めた。当時は家族ともうまく行かず、私の居場所なんてどこにもなかった。虚しさ、悔しさ、悲しさ。心を繕うためにセックスしていた。

援助交際をする度に罪悪感、とてつもない嫌悪感。特に天井が鏡になっているホテルでのセックスは心が死んだ。私の体を貪るように覆いかぶさってくる汚い男と、何をしているんだと言いたくなるような状況で自分の裸の姿を見つめた。何度も泣いた。目を瞑って泣いていた。私は汚い。この先誰かに大事にされることなんてないんだろう。助けて、誰か助けて。

それでも援助交際を繰り返すほかなかった。誰からも心から私のことを必要とされないことが悲しかった。私の体が、初めての体験を、あっさりと捨ててしまったこと、嫌だったこと、とてつもない悲しみに襲われたこと。嫌な記憶を上書きするように沢山の男に抱かれた。余計に自分を苦しめただけだった。体の関係を沢山の人と持ったが、私が必要としていたのは、心を受け止めてくれるような人だった。

そんな中、私のことを受け入れて理解してくれたのは、高一の元担任だった。先生だけはわかってくれた。私の苦しみもわかってくれていたと思っていた。わかってくれたことが嬉しくて、どんどん好きになっていった。この人に大切にしてもらえたら、今までの全てが上書きされて、私は幸せになれるのではないかと思った。

結局高1の時の元担任とは卒業後にセフレになった。私は世界一幸せな女の子だと思っていた。そんなセフレ関係を続けた末に、私に赤ちゃんができた。嬉しかった。先生との赤ちゃんができた。私はこの子がいれば生きていける。お腹に宿った命。愛しかった。目に見えないけれど、生きてきてよかったと思うくらいに私は嬉しかった。この子に出会うために私は生きてきたんだと、間違い無く思った。

先生に報告した。すぐに病院に行って手術を受けようと言われた。私の赤ちゃんはどうなるの?
「俺の遺伝子をこの世に残したくない」とあの人は言っていた。では何故避妊しなかったの?避妊をしなかった私も悪い。だけど想像もしていなかった。「俺の遺伝子をこの世に残したくない」そんな残酷なことを言われるなんて。
あなたの遺伝子を継いだ赤ちゃん。私の遺伝子も引き継いでいる。この子を殺すことは、私の心を殺すことでもあった。あの時ほど悲しい感情はもうこの先味わうことはないだろう。お金だけを渡されて、それからしばらくは連絡が取れなかった。

一番に信用していた先生に、呆気なく捨てられた。何故?先生、なんで?喪失感が酷かった。あの時の感情を今ではきちんと思い出すことができない。

私はよく記憶をなくしてしまう。それは忘れることによって、自分の心を守っているのだと知った。しかし、そういう記憶を失う人たちは、通り魔事件に巻き込まれたり、そういう大きな外傷体験、悲惨な状況を目の前にして引き起こされるものだと思っていた。そういうことで酷く傷ついた人たちに比べれば、私の苦しみなんて軽いものだと思う。それでもストレスのキャパが小さい私にとっては、この事件は過酷だったのだと思う。

そんな小さな傷つきを重ねたことによって、多分私は記憶を失うようになった。今でも記憶を失うことは多い。むしろ現状は、過去一番で記憶を失くすピークがきている。

辛いことがあると忘れてしまう。辛いことは現実だと思わないようになった。これは夢だ、私はこんな悲しい、苦しいわけじゃない。これは私の現実ではない。こんなに苦しい世界を生きているなんてきっと嘘なんだ幻なんだ。この考え方は次第に癖になってしまっている。常に現実感がない。この世界はきっと嘘だ。私は可哀想な子なんじゃない。今までのことは全部嘘で、本当は私は幸せに生きている。苦しい思いをしているのは夢なのだと思う。そう思うことで現実感がなくなり、最後には思い出せなくなる。忘れてしまう。自分の心を守るためと言っても、記憶を失うということは、現実にとってはあまりにも不都合である。

記憶を失わなく済むようにするには、これは現実で私が受け止めなければいけないことと、真正面から受け止めることが大事なのかもしれない。けれど、私に真正面から受け止める勇気なんてどこにもない。こんな現実は嘘であってほしい。いつもそう思ってしまう。

思えば、中学生から酷くなった鬱。あの頃の私は「こんなにも辛いのなら、記憶なんて失って仕舞えばいい。記憶喪失になりたい」そう願っていた。あの時の私へ、少なくとも10年以内に、あなたは日常の記憶を失い続け、それによって生活に支障が出ることになります。



私は

救われたかった。

誰かに愛されたかった。

ありのままの貴女でいいから

そう言って大事にされたかった。


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