人生ぴえん -後編-

2日連続での早起き。やったね。

それでは続き。

更に心理検査での結果、専門的な話が難しくて理解できなかったが、発達障害(ADHDASD)のグレーゾーンと言われた。それは予想していなかった...特に落ち込んでもいない。驚いたけど『へえ~まじ?』くらいで受け止めた。『この診断合ってるのか?』と思っているくらい。ADHDに関しては「多動性ー衝動性優位型の成人期ADHD」がなんたらかんたらと書いてあった。衝動性は大いにわかる。多動は自覚なし。

最近忘れ物失くしもの、不注意でミスすることが頻繁にありすぎて困っている。調子が良くない故なのだとは思うが、多動性よりも不注意のほうがしっくりくる。
最近失くして大きな打撃を食らったのが、クリスマスにお父さんからプレゼントしてもらったコインケース。家で失くしたあるあるではなさそうだ。お母さんとTSUTAYAに行ったときだ...あの時駐車場にでも落としたのであろう。
数日前、珍しく朝早く起きたので家から実家へ歩いて帰った。実家の玄関の鍵を開けようと、鍵を探した時に気づいた。キーリングがない。そもそも出る時に家の鍵を閉めた記憶がない。のんびり昼寝をした後、車で家に帰ってドアを開けて確認してみると思った通り部屋の鍵は開いていた。いつもの場所にキーリングはあった。
これは、年始だった気がする。カウンセリングに向かうために電車に乗っていた。まず一つ目は帽子。足元に置いていた荷物の上に帽子を置いていた。どこかのタイミングで帽子は転げ落ちたのだろう。私はその存在を忘れていた。電車を降りたときに帽子を持っていないことに気づき、それが帽子との永遠の別れとなった( ^)o(^ )
駅の改札を通り抜けようとした時、PASMOがないことに気づいた。3千円チャージしたばっかりなのに。さすがに凹んだ。カウンセリングを終えてから、駅員さんに問い合わせてみたら、優しい誰かが4つ先の駅に届けてくれていたみたい。すぐに取りに行った。ありがとう神様。私も人に優しくなろう。世界って素敵だなあ~生きててよかったー!と軽くハイテンションになった。
PASMOが見つかって安堵していた帰り道、手に持っていたマフラーをいつの間にか落としていたらしく、女子高生が拾ってくれた。「落ちましたよ、これ」声をかけてくれていなかったら、1日で失くしもの記録が3つになるところだった。
失くしものなんて当たり前。失くしたくないものは持ち歩かないと決めた。しかし財布、iPhoneの必要不可欠の携帯品はどうすればよいのか問題。
調子が悪いと特徴が顕著に現れるのかなあと予想。

また、これもある日のこと。本屋で精神疾患の本を眺めていた。ずらりと並ぶ書籍。
その中で目を引くものが1冊だけあった。
幸運なことと言えるかは微妙として、これはセレンディピティだと思った。
ところが中身は見ることもなく購入。それだけタイトルに惹かれた。

その本がこちら
「かくれ躁うつ病が増えている なかなか治らない心の病気」共著 岩橋和彦・榎本稔・深間内文彦

買ったはいいが、その本を手に取ったのは数日後だった。

「不機嫌なのに高揚する気持ち、治らないうつ症状…すぐキレる、依存する、食べ吐き、暴言も...『とにかくブレーキが利かない!』」
表紙のこの文を読んだだけで『うわあ、私じゃん』と思った。

少しだけ中身を紹介

*周りから理解されにくい躁状態
躁状態の特徴として不機嫌な高揚感というものがあります。
躁状態とは決して「ハッピーな状態」とは限らないのです。あえていうなら「不機嫌な、絶えず心のなかでなにか突き上げるような、じっとしていられない苦しい高揚感」を伴うことが多いかもしれません。
躁状態になった患者さんの行動は、周りの人にはまったく理解されません。もともと発病する前の患者さんは、人の良い社交的な性格の人が多く、周囲の人から好かれている場合が多いようです。そんな人が突然、人が変わったように些細なことで急に怒りだしたり、不機嫌でイライラし始めるからです。
怒りやすさ」「怒り方の程度」「攻撃性」が異常なのです。些細なことでイライラが爆発します。さらにイライラが続いて不安も伴い、それを紛らわすために依存症が始まってしまうことも多々あります。
品人には周囲の人の心配や注意はまったく届かないのです。これが「ブレーキが利かない状態」になっている。

まだ半分くらいまでしか読めていないのだが、最初の数ページで心を鷲掴みにされた。
私に当てはまることしか書いていなかった。この本は私をモデルにしているのか?と思ったほどに。

躁状態に対して、ハッピーな状態と私も思っていた。急に昂ぶる気持ち、イライラ、不安、そわそわして落ち着いていられない状態。あれがこの本の通りに躁状態とするならば、私の日常の気持ちの変化すべてに納得がいく。
そして思った。
『私は双極性障害かもしれない』

イメージしていた躁状態とはまるで縁がなかった。
まさか自分が双極性障害躁うつ病)にこんなにも当てはまるとは思ってもいなかった。

この本を読んで『うわああああああ、私だ!!!私のことが書いてある!!!私これだわ!双極性障害Ⅱ型だわ!もしこの病気でもないなら、もはや私は自分のことを病気だとは認められない!』パズルのピースがはまったような感じだった。

このブログを読んでくれているカウンセラーには明日、主治医には来週の通院日でこの話をするつもり。

もし本当に双極性障害であったら、SSRIなどの抗うつ薬はかえって悪化するし、抗不安薬の長期間の服薬も良くないらしい。
双極性障害ではなかったとしても、この機会に薬物療法の方針も見直したい。

もちろんこの病気だと診断されたわけではないけれども、私自身を知れたという今回の出来事は良かったと強く思えた。


*追記*
セレンディピティという言葉に出会ったのは、確か高校生の終わりか大学入学頃だった気がする。
その時セレンディピティという言葉に出会えたことが、セレンディピティそのものだった。
私の好きな言葉の一つ。

wikipediaではこう訳されている。
「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。 」

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